「死ぬなよ、すまんな」倒産の危機を引き起こした3代目、父の膝元で泣き崩れた 冷やして食べる「くりーむパン」の会社、どん底からの再起

冷やして食べる「くりーむパン」で知られる「株式会社八天堂」(広島県三原市)は3代目代表取締役・森光孝雅氏が、拡大路線を推し進め、焼き立てパン店を10年足らずで通算13店舗にまで急成長させた。しかし、「勢いだけ」の経営は行き詰まり、赤字に転落、廃業の危機に追い込まれた。そこから、森光氏はどのように再起してきたのか。現在の看板商品「くりーむパン」を生み出すまでの道のりについて森光氏に聞いた。
目次
倒産危機からの再起のきっかけをくれた家族の存在
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――倒産の危機に陥って追い込まれた状況で、再起のきっかけは何でしたか?
栃木県宇都宮市でパン屋を経営していた弟がいました。彼は私と全く違い、1店舗でコツコツと堅実にやっていました。その弟から電話がかかってきたのです。
「兄貴、大変らしいけれど、貯金が2000万円あるから、これで乗り越えてくれ」。
ありがたい申し出でしたが、一瞬で彼の全財産だと気付きました。
親の言うことを聞かずに好き勝手やっている私のために、弟が全財産を差し出そうとしている。あまりにも申し訳なくて、泣けてきました。
そして、その時に気づいたのが親の存在、ありがたさでした。それまでは親に反目していました。
――2代目からは経営についてなにか言われていたのですか?
職人気質の父は、私の「拡大」方針には反対で、「お前、次から次へと店を出しているが、人が育たないのに広げていたら、いつか潰すぞ」と何度も苦言を呈していました。
しかし、当時の私は耳障りでうるさいと感じ、なるべく近寄らないようになっていました。典型的な、駄目な息子でした。
弟からの申し出を受けたとき、経営や社長などという以前に、人間として遥かに弟に及んでいないと愕然としました。そして、その弟を育てたのは自分が遠ざけてきた親だと。自分の至らなさを痛感すると同時に、小さい頃からの思い出とともに親の存在のありがたさが蘇ってきました。
自分1人で切り開いてやってきたつもりでいたけれど、これまでの感謝の気持ちを面と向かって親に伝えたことがあったろうか、と。
改めて親の気持ちを考えるといたたまれなくなり、心から謝って感謝の思いを伝えたいと、親のもとに向かいました。私が声をかける前に、「死ぬなよ。すまんな」と父は泣きながら謝ってきたのです。
私も親の膝下で泣き崩れ、これ以上ないくらい泣きました。私の背中と足を、両親は一生懸命さすってくれました。その時に、冷えていた心が温まる感じを覚えました。
「このままみんなに迷惑かけっぱなしで自分だけがいなくなってはいけない」それこそ人生を、経営をやり直したいという心からの思いに変わったのです。
社会貢献を念頭に置いた経営理念と信条の確立

――再起を決意されてから、まずされたことは?
必死で経営を勉強しました。気付いたことは、大小問わず伸びている会社は、事業の目的を社会貢献に置いているということでした。
経営理念が大事だということは知っており、それまでも壁に飾ってはいました。ただ、心から経営理念を信じてはいませんでした。きれいな言葉であっても、心からは言えていない、つまり心が震えるものではなかったのです。
これではいけないと、経営理念を確立させることにしました。人々に貢献したい、喜んでもらいたいという漠然とした思いはあるけれど、言葉に落とし込むまでが辛かったです。
書いたり消したりを繰り返し、ある時、現在の信条(クレド)である「八天堂は社員のために、お品はお客様のために、利益は未来のために」という言葉が降りてきました。そして経営理念を「良い品、良い人、良い会社つくり」と定めました。2007年のことです。
2025年現在では「事業の目的は社会貢献にあり 事業の本は人にあり 良い品 良い人 良い会社づくり」とブラッシュアップしています。
袋詰の天然酵母パンの卸売を始めてV字回復へ
――どのような事業でV字回復したのですか?
信条と経営理念を掲げてからは、謙虚な姿勢で周囲に接するようになりました。まずは社員をはじめ皆様やお客様に反省の弁を述べました。そうすると、チャンスが生まれました。
ある時、「家の近くではこだわったパンが買えないから」と、わざわざパンを買いに来てくれたお客様がいました。こだわったパンというのは、無添加のパンや天然酵母を使用した地産地消のパンなどです。
そのお客様の「近くにあったらいいのに」という言葉がきっかけで、その方の住所の近くに行ってみると、コンビニと小さなスーパーしかありませんでした。
そこで、その小さなスーパーに飛び込み、「うちの袋詰パンを棚に置いてもらえないか」と交渉しました。すると、すぐにやってもらいたいと快諾いただいたのです。
これは需要があると考え、小さなスーパーへ片っ端から飛び込み営業に行き、卸売の交渉を始めました。すると、大きいスーパーからも声がかかるようになっていきました。
こだわりの天然酵母パンは、付加価値をつけて売れる。主力を袋詰パンの卸売に切り替え、経営はV字回復していきました。
一点突破の看板商品をつくろうと決意
――現在の看板商品である「くりーむパン」開発のきっかけは?
ブルーオーシャンだった天然酵母パンの卸売も、同業者が出始めてレッドオーシャンになっていき、このままだと厳しい状況になりました。そこで、まだ余裕があるうちに大きく方針転換を図ろうと決めました。
和菓子店を和洋菓子店に、そしてパン屋にと、弊社は祖父の代から少しずつ業態転換し、変化しながらなんとか生き残ってきた会社です。だから、変えていくことに関しては全く抵抗がありませんでした。
しかし、私にはパンしか取り柄がないので、やり方を模索しました。他企業について研究すると、一品に絞ったスイーツの専門店が、東京の駅ナカを中心に全国から出てきていて、選択と集中が必要なのだと理解しました。
また、もう1つ背中を押してくれたのが、私の中学の後輩である共楽堂の芝伐敏宏さんの存在です。共楽堂も弊社と同じく1933(昭和8)年に広島県三原市に創業した菓子店ですが、「ひとつぶのマスカット」という看板商品をもって東京で勝負し、評判を呼んでいました。
彼の成功と助言にも後押しされ、東京で勝負することは定まってきましたが、まだ武器となる商品がありませんでした。そこで、2007年から商品開発をスタートしました。
当時商品は100種類もありましたが、勝負のための一品の開発に取り組み、1年半のトライ&エラーの結果、2008年に現在の看板商品「くりーむパン」を生み出したのです。
森光孝雅氏プロフィール
株式会社八天堂 代表取締役 森光 孝雅 氏
1964年、広島県三原市生まれ。千葉商科大学を中退し、1986年から神戸のドイツパン・焼き菓子の名店にてパン職人修業を開始。祖父から続く家業である和菓子・洋菓子店を継いで、1991年に焼きたてのパン屋「たかちゃんのぱん屋」を開業、事業を急成長させる。1997年に3代目として代表取締役社長に就任。無理な店舗拡大から廃業の危機に陥るものの、業態転換で経営をV字回復させる。2008年に看板商品の冷やして食べる「くりーむパン」を開発、スイーツパンの手土産市場を確立し、国内外へ事業を展開させている。現在ではスイーツパンを中心にアライアンスやコラボレーションで事業を展開し、福祉・農業領域の課題解決にも取り組む。地域社会から応援される会社となるべく、「食のイノベーションを通した人づくりの会社」の実現を目指す。
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